『THE FIRST SLAM DUNK』とわたし

ザファ以前の話

スラムダンクの連載期間はわたしが生まれた翌年から幼稚園を卒園する年まで。リアルタイムで持っている記憶は、花道が晴子さんに恋をしていること、花道が坊主になったこと、流川軍団、流川が花道に背番号10を譲るシーン、いずれもテレビアニメより。

中学生の頃、少年漫画をたくさん読んだがスラムダンクを手に取る機会はなかった。思い返すと読んだ漫画のほとんどが一人の友達から借りたもので、彼女の家にスラムダンクがなかったということだ。バガボンドは置いていたが「性的なシーンがあるから、地獄ダイバーシティにはまだ早い」と言って貸してくれなかった。

2022年12月、『THE FIRST SLAM DUNK』(以下ザファ)の上映が始まったのは認知していたものの、炎上している様子を遠目で眺めて辛い気持ちになり、思考の外に置いてしまった。
2023年1月、昔10日間だけ付き合った人から連絡が来て、ザファが面白かったから絶対に観てほしいと頼まれる(未来のわたしの姿である)。分かった〜、と言いつつ実際に観るのは2月になる。

ザファ以降の話

2月12日、バルト9でザファを観た。バスケットボールの知識はまるで無いので、プレイの内容は理解できない。(今では信じられないが)山王工業の坊主たちを見分けられない。それどころか、湘北高校のメンバーさえ把握しきれない。それでも心臓を鷲掴みにされた。無声の時間に息が止まった。

漫画を1巻から買い始めた。日々本屋に向かって次の巻を買い足し、売り切れの巻はネット注文して前巻を読み返した。外出する時はバッグに入れて、移動中や待ち時間にも夢中で読んだ。
映画館へ通うごとに、宮城リョータに、宮城家の物語に没入していった。原作の描写では自分と重なる部分はおおよそ無さそうだったリョータの、内面に共感した。カオルと自分の境が曖昧になる時があった。とても似ていてすれ違い続けた二人が、自分の中に棲むようになる。

なぜ夢中になったのか

オープニング主題歌を提供しているThe Birthdayチバユウスケが、スラムダンクに対して「勝手に真逆の立場にいると思っていた」とパンフレットで述べている。

(ザファ上映期間中の4月、チバの病気によりThe Birthdayは活動中止となってしまう。わたしは5月に中野サンプラザThe Birthdayのライブを観る予定だった。とにかく格好良くて毎回シビれていたオープニングムービーを、ライブのジェネリックとして捉えるようになる。)

わたしは、高校では絶対に運動部に入るものかと思っていたし、スポーツ観戦が苦手だし、マッチョを忌避している。スラムダンクの世界と真逆にいると言っても言い過ぎではないだろう。なぜ真逆から横断してザファの世界に乗り込むことになったのか。3つの理由が挙げられると思う。

  1. 宮城リョータの喪失感と自己破壊衝動にシンパシーを感じた
  2. フィクションの世界でスポーツ観戦を心から楽しめた
  3. 新しい視点を持つことができて嬉しい

1.  宮城リョータの喪失感と自己破壊衝動にシンパシーを感じた

《屋上に呼び出され、暴力を受けるシーン》
まだ馴染めない土地のバスケコートで出会った、希望(1 on 1)と絶望(ソーちゃんとオーバーラップする)だった存在、三井は落ちぶれている。口の血を拭った後、彼は冷たく、諦めたような薄い笑みを浮かべる。

リョータが速度超過のバイクを走らせ「クソ」と繰り返し呟くシーン》
三井にバッシュを蹴り飛ばされたこと、泣く母に寄り添えずソーちゃんの背中を見ていることしかできなかったこと、ソーちゃんが海から帰ってこなかったこと。ザーーッのいうノイズ音とともに、ソーちゃんがいない世界と、その世界で唯一の支えだったバスケからの追放(逃避)が頭の中を巡る。「クソ、クソ」。彼の実存に深く関わる家族とバスケはグラデーションになっていて、その両軸がほとんど崩れかけている。ガムテープで補修したボロボロのバイクをどんどん加速させ、トンネルの向こうで対向車と衝突する。生死の狭間で見えた景色は沖縄のさとうきび畑で、ほっとしたように薄い笑みを浮かべる。

この2つの薄い笑みを観る時、とてつもなく悲しくて美しいと感じる。わたしも自分のことが大嫌いで、リョータとは状況も表出方法も違うけれど、喪失感と自己破壊衝動を常に持っている。だから安心する。本当は沖縄の懐かしいイメージに包まれたまま消えてしまった方が良かった、楽だったかもしれない。それでもリョータの身体は目覚めてくれて、目覚めた病室は蛍光灯の光の色がとても現実的で、また母を怒らせてしまう。

ただ、生きているからカタルシスへ向かうことができる。

辛いときに状況や自分の不甲斐なさを薄く笑うリョータが、沖縄の洞窟の中でようやく泣き叫ぶことができた。先に逝ってしまった人、五感で感じ取れなくなってしまった人が遺した手書きの文字が持つ力って、すごく強いよね。

誕生日ケーキの、自分の名前が書かれたプレートを手の中で粉々にした夜に書いた手紙が、カオルを抱きしめ、また少しだけ触れ合えるようになる。書き損じとしてゴミ箱に捨てた方の手紙、「毎年思うのが、生きているのが俺ですみませ……」をカオルに突きつける権利をリョータは持っていたと思う。でも飲み込んで、それをしなかった。

わたしは春にパーマをかけて、片耳にピアスを開けた。リョータが好きだという気持ちと、リョータになりたいという気持ちが混ざり合っていた。

2.  フィクションの世界でスポーツ観戦を心から楽しめた

先述した通り、わたしはスポーツ観戦をするのが苦手だ。その人の努力や苦労に自分は一切関わっていないのに、結果に歓喜したり落胆したりすることに罪悪感を覚えるから。応援という行為が無責任に思えるから。人の身体を消費するのが辛いから。

そんなわたしがどうしてインターハイ2回戦、湘北対山王戦を描くザファに通ったのか。それは、井上雄彦監督率いるスタッフによるリアリティを徹底的に追求したプレイと絵の表現が、わたしを別の世界、フィクションの世界に連れていったということだと思う。声優陣とモーションアクターの演技と、クリエイターの技術と、全スタッフの熱意と労力、膨大な情報によって命を吹き込まれた人物が生きる世界。生身の人間ではないからこそ、惜しみなく気持ちを寄せられるということがある。応援上映にも2回参加し、とても楽しかった。もちろん、花道の怪我や山王の敗退は何度見ても辛いのだけど。

今年の夏は沖縄でFIBAバスケットボール・ワールドカップが開催されている。恐るおそるこの世界の、ノンフィクションの試合をテレビで視聴してみた。バスケの知識がゼロだったわたしが、漫画スラムダンクを全巻読み、映画ザファを17回観たら、試合で何が行われているのか、多少なりとも理解できるようになっていて、「あっ、これは沢北がやるダブルクラッチからのフローターシュートだ!」という風に「あっ、これ進研ゼミでやったところだ!」状態だった。映画の副音声で、バスケットボールアナリストとアナウンサーの実況・解説を聞いていたのも大きかったと思う。

3.  新しい視点を持つことができて嬉しい

ワールドカップを観て、人間の身体は、練習を重ねることで本当に奇跡みたいな動きをするのだと改めて思い知る。渡邊選手の負傷や、ホーム戦故の圧倒的に強い日本チームへの応援、相手チームへのブーイングなどに心を痛めることはあったが、テレビ越しではあるが現実の試合を観ることによって得られたものもあったように思う。それについてはまだ整理の途中。

5月には山王工業のモデル校、能代科学技術高校(旧能代工業高校)がある秋田県能代市を訪れた。能代市は「バスケの街 能代」として、街全体でバスケを盛り上げる雰囲気があった。能代バスケミュージアムでは、能代工業で体の大きなバスケ部員のために技術の先生が特別に製作した机が展示してあり、今年度の能代科技バスケ部メンバー紹介もあった。すごい。

スニーカー好きの友達からは、登場人物が履いているバッシュについて解説してもらった。沖縄出身の友達からは、沖縄の言葉や苗字、劇中で登場する場所のモデルの話を聞いた。インターネット上では、ファンたちがザファに関するあらゆる情報を共有して集合知を形成している。

作品を通して新しい知識・体験を獲得しようと欲することはきっと豊かなことだ。そして新しい知識・体験は新しい視点をもたらし、作品の見え方が更新されたり、解像度が上がったりする。鑑賞、インプット、考察、鑑賞、と繰り返していたら自然と鑑賞回数が増えていった。仕込まれている情報が、目、耳ひとり分では追いきれないというのもある。劇場による映像と音響の違いを楽しむのも良かった。

賞賛した人間としての責任

ここまで、わたしにとってザファがいかに大切で大好きな作品になったかを書いてきた。チケット代は払うからぜひスクリーンで観てほしい、と友達に懇願したこともあった。しかしながら、そのザファにも人を傷つける台詞、問題となるシーンが少なくとも2点ある。それについて言及する責任のようなものがあると、ずっと感じてきた。

1点めはリョータが深津と沢北から再度ゾーンプレスを受け、それに対して彩ちゃんが「リョータッ!抜けえ 男だろっ!」という台詞。原作でも同様の台詞があり、吹き出しの中に手書きで「おらあっ」と書き込まれている。彩ちゃんのたくましさ、鉤括弧付きの「男らしさ」が表現されているのだと思われるが、これは言ってはいけない言葉だ。性別と行動を結びつけて鼓舞するのを聞く度に、苦しくなる。100歩譲って連載当時の空気感がそれを許容したとしても、ザファが公開されたのは2022年。いくつかの台詞が改められているように、この台詞もアップデートされるべきだったのではないか。2点目は花道がゴリに「カンチョー」をするシーン。それは性犯罪で、コミュニケーションツールではない。

愛してやまないザファであるが、作品の中には決して賞賛できない点も存在しているというのを指摘しておきたかった。

いくぜ。

『THE FIRST SLAM DUNK』は8月31日に終映を迎えた。最終日夜の上映にギリギリ間に合い、それがわたしの「ラストゲーム」になった。スクリーンが真っ暗になったとき、客席から自然と拍手が沸き起こった。作品から貰ったものは計り知れないくらい多いのに、それを抱きかかえていてもやはり、終わってしまったことが寂しい。映画を観終えてから、駅前でしばらく座り込んでスマホと宙を見つめたり、寝ているわけではないのに何度も電車を乗り過ごしたり、大きな空洞ができてしまった。ワールドカップでは日本チームがベネズエラチームに勝利していた。

その翌日の9月1日朝、ベッドでSNSを覗いたら、朝日新聞にザファの全面広告掲載というニュースを目にする。ガバッと起き上がり、日焼け止めも塗らずにコンビニへの自転車を走らせた。朝練に向かうような気分。井上監督は、贈り物をするときに中身が見えたらつまらないから、ラッピングをする。ページをめくったときの驚きを大切にしている。という話を8月15日、ようやく登壇してくれた舞台挨拶で話していた。紙面には、バッシュを持ち、歩き始めたようなリョータと、「いくぜ。」から続く文章とロゴがあった。最後まで、最後を越えても尚、背中を押してくれる彼らの世界とこの世界は繋がっている。

さあいこーか。